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奥田志郎さんが能登の中心七尾市の美術館で出会った「カブラ絵合鹿椀」。美術館からお借りして奥田志郎さんご自身に写していただきました。
美術館のご了承をいただき、販売させていただくことになりました。
「合鹿椀」は輪島塗のルーツと思われていますが、正しくは、「合鹿椀」と呼んでいいものは、桃山から江戸初期にかけての合鹿村で作られたものに限られています。 偶然ですが、形や姿は工芸店ようびの定番の一つ「粥椀」とほとんど同じになりました。
高台の高いおおらかな形は、直接床にうつわを置いて食事をしていた名残とも言われています。
奥田志郎さん、「工芸店ようび」にとって「合鹿椀」はとても縁のある漆器です。「合鹿椀」については「粥椀」をぜひ御覧くださいませ。
無地もご用意いたしました。
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七尾椀
三年前、奥田志郎さんが能登七尾の美術館で面白い合鹿椀を見つけ、美術館にお願いして写しを作らせていただきました。ドカンと蕪の絵があり、形は端正なとても良い形です。
奥田さんとカメラマンと木地屋さんと御一緒に行き、寸法をとり、資料を見せていただいて作り始めました。少しの改良を加えて、下地も本歌のままではなく(本歌は渋下地と云われている)蒔地にして強くなったと思います。山本哲さんに本歌を元に蕪の絵を画いていただき、とても面白いものになりました。
さまざまのお椀をお持ちの方にもきっと面白がっていただける多用途のお椀だと思います。合鹿椀の御要望も多いので、朱と黒の無地もおつくりしました。
その後、誠に間の抜けたお話をすることになりますが、出来上がったものを美術館にお見せして御礼を申し上げ元の所蔵家さまにもご挨拶することになってから、いままで粥椀として売らせていただいていたものと並べてみましたら殆んど同じものだったのです。
これは故奥田達朗氏(奥田志郎さんの兄)が1970年頃に挽いていた素地を少しずつ塗っていただいたものでした(形を造りましたのはもっと以前だったと思われますが)。五十年余りも経てしかも出来上がってから気がつくなんてと思いますが、五十年余前に奥田達朗氏が数ある合鹿椀の中から一つを選んで写したものと、弟さんの奥田志郎さんが「いいから写してみよう」と思われたものが殆んど同じだったことに不思議だけれど美しいものの持つ力みたいなものを感じました。蕪の絵はもちろん初めてのことですが。
五人ものスタッフで七尾まで一泊で行き一日がかりの資料精査、素地屋さんとの意見交換などを経て作ったものが殆んど同じだったなんて・・・と笑えない現実でした。そして改めて奥田達朗氏の為した仕事に敬意を持ちました次第です。
工芸店ようび 店主 真木
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