長谷川等伯や俵屋宗達が活躍した、まだ琳派と言われなかった時代に、立葵は文様として多くの場所に登場します。代表格は醍醐寺客殿の絵で、一面に画かれている金箔に映える紅や白の立葵は、印象に強く残っています。この頃は道端に立葵が植えてあるのを見なくなりましたが、花期が長くて背丈が高くなり、道端の花のように子供の頃は思っていました。
この花の一つ一つに魅力を見出したと思われる乾山の文様がたくさんあります。近付いてみると牡丹のようにも椿のようにも見え、季節ごとに反対に呼び名を変えて使用したのではないかと思われますが、もともとは夏の花、立葵です。一つずつ吟味して見ることのない、どちらかというと全体像を茫然と見る花だからなのでしょうか。
これは夏の花、立葵本来の使い方をしてみています。塗りは輪島、最高の塗師屋の尚古堂、蒔絵は京の蒔絵師、一峰こと竹田省さんです。
よいお出汁に素麺の天の川、オクラを星のように散らして、白身の魚の切り身かはんぺんを乗せてはいかがでしょうか。