数多くの文化財を所蔵する静岡県湖西市鷲津の法華宗 本山 常霊山 「本興寺」は、戦国時代の今川氏など多くの庇護をうけて発展しました。
特に徳川家康公からは10万石と大名並みの格式と徳川将軍家の葵の紋の使用を許されていました。
お寺には、徳川歴代将軍の位牌が並ぶ「将軍家御霊屋」があります。
※ 本興寺の第十世 日梅上人の姉の西郡局は、家康の最初の側室でした。境内墓地には、今もなお、西郡局のお墓があります。
国の重要文化財に指定されている茅葺(かやぶき)屋根の荘厳な本堂のほか、江戸時代初期に三河の国吉田城から移築された奥書院や山門、大書院など歴史的に貴重な歴史建築物が残されています。
また、江戸時代を代表する画家「谷文晁(たにぶんちょう)」晩年の傑作「四季山水図 壁画」や多くの襖絵などもあり、別名「文晁寺」などと称されています。
北原白秋が昭和7年に鷲津の観潮楼に滞在したときに、閑静な本興寺のたたずまいに心引かれ、数多くの歌を残しています。「水の音ただにひとつぞきこえける そのほかはなにも申すことなし」という作品もそのときのもので、歌碑は本堂前に建立されています。
江戸時代初期に徳川家康に仕えた大名で、作庭家でもあった小堀遠州が作庭したと伝えられる本興寺の庭園は、蓬莱式池泉観賞式庭園で遠江国に残る遠州三名園のひとつです。
本興寺の第十六世の住職だった日隠上人は、非常な碁好きでまた強くもありました。ある日書院の縁側で、独り碁を打っていると天狗が現れて手合わせを申し込んできました。
ところが、和尚に勝つことができず悔しさのあまり爪で碁盤の表面を引っかいたそうです。
以来この碁盤を「天狗の碁盤」と言い、寺の宝物として保管されています。
俳人・高浜虚子の次女として東京に生まれ、昭和初期の女流俳人中村汀女とともに双璧と並び称された星野立子。
「花の寺静かな人出中に歩す」の句は本興寺花祭りに訪れた際に詠んだもので、句碑は昭和五十二年に建立されました
本興寺第四十八世 日照聖人に題字をいただいて「家業繁栄」を祈願していただいた遠州御銘茶 佛心五凛茶「黄・きいろ」は、静岡県浜松市天竜区春野町で農薬・化学肥料を一切使わずに育てた茶葉を静岡では珍しい釜炒り製法で作りました。
通常の蒸し製法のお茶とは違い、金色透明な水色、芳ばしい香りとすっきりとした飲み口で、和食以外の料理(中華料理など)でもよく合います。