
アメリカに戻った彼を待っていたのは、ブルゴーニュでの活躍を耳にした(今度は)ボルドー・サイドからのオファーでした。
『ラ・ミッション・オー・ブリオン』 の当時の所有者であったウォルトナー家による米国進出版、
『シャトー・ウォルトナー』 の設立に参画し、初代ワインメーカーを引き受け、1992年まで醸造と栽培の双方を担当します。その後、
『クロ・ペガス』、
『フランシスカン』、
『アーチェリー・サミット』、更にジンで知られる 『ハウエル・マウンテン』 や 『グリーン&レッド』 など、主にノース・コースト以北のトップ・ワイナリーにて数々の実績を積むと、いよいよ1992年より自らのレーベル始動のための準備期間に入ります。半年以上の時間を掛け、北はワシントン、オレゴンから南はサンタ・バーバラまで最適な土地を探し続けました。ブルゴーニュでの経験が育んだ理論は、
「傑出したピノとシャルドネは海岸線沿いで生まれる」というもの。その信念に従って自らの理想郷とした場所は、ソノマ及びメンドシーノの沿岸寄りでした。1993年、条件を備えたコースト・エリアに畑を購入。奥様ハイジ女史と共に満を持して
『リトライ』 と名づけた自身のレーベルをスタートさせました。Littorai(リトライ)とはラテン語で海岸を意味するLitorの複数形(の派生語)で、Coasts(海岸)を意味します。

リトライにおけるテッド・レモンの哲学は、「ワイン・グローイング」。ジャック・セイス、オベール・ド・ヴィレーヌ、ジャン・マリー・ルーミエといった重鎮から学んだ純粋な伝統的手法です。極力人の手を加えず、手間隙かかっても自然に近い状態で行う葡萄へのコンタクト。低く抑えた収量と緻密な畑と葡萄の選択。ワインは「造る」のではなく「育む」ものと考える繊細でそして優しいワイン造り。ラインナップの殆どが箱数で年産三桁台なのは、付加価値の後付けなどではなく、拘りと信念の交錯が生んだ結果に過ぎません。
全ての作品は、フォー・ディナー、フォー・グレート・キュイジーヌ…評論家の点数やコンペの結果を目的としない、料理と共に生きるためのワイン。「高アルコール度数」や「爆発的な完(過)熟」、「ドラマチックな濃度」とは背を向けたスタイルです。この食事とのマリアージュを生命線とした仕立てが、フレンチ・ランドリーを始め飲食業界からの圧倒的支持を受ける支柱となり、同時に一般市場からの引き合いをも強め、結果として品薄状態を引き起こしているのです。
「If your passion is also in culinary arts, here are some examples of pairings from beautiful restaurants to inspire you...」
◎2010年、テッド・レモン来日。
様々なお話を伺う事が出来た中で、意外に感じた話題が二つ。
まず一つ目は、フランスの重鎮達と多くのコネクションを持つ彼に敢えて聞いた、
「米国業界人で最も尊敬する人物は?」という問いの答え。即答に近い速さで
「ジョシュ・ジャンセン」と返ってきたのは、両ワインのスタイルだけを比較するとちょっと意外…ただしこれには理由があります。ディジョン大学卒業後、そのままフランスで実績を積んだように思われるテッド・レモンですが、実際はそうではありません。幾つかのドメーヌを回って見習い仕事を続けた後に蓄えが底を尽いてしまい、一度アメリカに戻って職探しを行っています。そんな折、彼を雇い入れた人物こそが、ジョシュ・ジャンセンでした。
1982年、
『カレラ』 で働いていたテッドの元に、一本の電話が入ります。彼を驚かせたその相手とは、デュジャックのジャック・セイスでした。
「ムルソーを造ってみないか?」という彼の話は更にテッドを驚かせました。その裏には、同年、53歳で…というあまりに早すぎるギィ・ルーロの逝去がありました。今でこそ家業を継ぎ、当主の座に就いている息子のジャン・マルク・ルーロですが、当時はワイン業界よりも俳優業に夢中。マダム・ルーロにとって、ワイナリ存続のためには外部醸造家を受け入れる他ありませんでした。マダム・ルーロが助言を仰いだ人物、そしてその答えとして
「彼ほど聡明で有能な人物は居ない」…とテッド・レモンを推挙した人物こそがジャック・セイスでした。こうして「テッド・レモン@ギィ・ルーロのヴィニュロン」が誕生したわけです(このとき若干25歳。一端は断られるなど、実際にはもうすこし紆余曲折あるのですが…)。僅かな時間でしたが、ジョシュの元で働いたテッドは、カレラそのものの味わいや内容がどうこうというよりも、自身が持つ「ワイン・グロウイング」の概念をジョシュの中にも強く感じたようで、どうやら貧困時代のサポートや、メーキング・スタイルの親近感なども、彼の名が挙がった理由のようでした。

もうひとつは(貴方のワインは種類が多いので)
「お薦めをひとつ選ぶとしたら?」との質問に、
「今なら2006年あたりのシャルドネ」と仰ったこと。ジョシュの残像もちらついていたため、てっきりピノが来ると思っていただけにこれまた意外でした。氏が自ら推すワインもシャルドネでした。
一方ピノ・ノワールもまた実にエレガントで極めて上質。ブルゴーニュに比べ費用対効果も抜群であることから、飲食業界外でも玄人筋であれば必ず「お気に入り」に名の挙がる存在になっています。シャルドネに比べ入手し易くなってきており、格好の「狙い目」です。
最後に、テッド・レモンの口上を。
「私達は手造りでのワイン造りが出来る範囲に生産量に止め、"Littoraiファミリー" の範囲を超えないようにし、優れたピノ・ノワールとシャルドネ造りに専念しています。ポテンシャルのある畑を見つけるとその畑を "ファミリー" に加え、特にユニークな個性を持っている場合は単一畑の名をつけたワインを造ります。もし興味をそそるようなことが無ければその畑ではブドウは栽培しません。また、その年のそのブドウに満足できなかった場合はその畑からのワインも造りません。これはフランスでは慣例的に行われていることです。
この理念は私達の顧客である皆様に理解して頂く必要があります。優れたワインはただの商品ではありませんし、私達はただ単純に需要に応えるためのワイン造りはしません。そこが安価なワインとの違いなのです。私達は高いアルコール度数と完熟しすぎたフレーヴァーにはとても神経を使います。フィネスがあってバランスのとれた余韻の長いワインを理想とし、逆に高いアルコール度数は食事とのマリアージュの障害になると考えます。私達は流行に合わせたワイン造りは一切しません。家の夕食の食卓で飲みたいワインを造りたいのです。
醸造ではワインに複雑味を与えるための一つの要素として1/3程度の新樽を使用しますが、皆さんがLittoraiのワインを飲んだ時にオークを思い起こさせるワインにはしたくありません。そしてとても重要なことを一つ…現代の便利な生活の中で本当のクオリティは失われていると私達は思います。ワイン造りにも自然に任せる我慢・忍耐が必要なのです。」
重濃度&超凝縮&高アルコールがもてはやされ、カルト・ブームの到来を迎えた90年代に、流行の逆を行く(20年先の今になって理想となりはじめた)このスタイルを、リトライは始動時から標榜していました。「理想」が「巧みの技」を経て「実体化」したもの…それがリトライ。今回は至福の時をお約束する、シャルドネとピノをご用意致しました。貴重なバック・ヴィンテージを含め、全リトライが正規品となります。
◎今更すぎますが・・・この美味しさは薀蓄無用です。ご賞味下さい。