彼女のビクターでの録音は1929年の世界恐慌発生を受けて終わりを告げてしまいますが、その後に収録された唯一の音源が当アルバムの最後に収められた「春の海」。1932年に日本を訪れたシュメーは宮城道雄の演奏する箏に強い関心を示し、箏と尺八のために書かれた彼の作品「春の海」の楽譜を借り受けると、一夜でヴァイオリンと箏のために編曲したと伝えられています。二人の共演で残された当音源が彼女の生涯最後の正規録音となりました。
欧米の一流演奏家の来日がまだ珍しかった当時、この「春の海」はいわゆる「West meets East」の先駆的な例であると同時に、日本の伝統音楽やその楽器を「遅れたもの」と見ることなく二重奏としてとりあげたところに、シュメーの開かれた心を感じることができます。
1940年代に入るとシュメーの消息は途絶えてしまいますが、先にリリースされたHMV録音集のブックレットによれば、その後も日本の音楽家が何度もパリのシュメー宅を訪れていたと記されており、心温まるエピソードとなっています。