ヴラニツキーは、モラヴィアのノイライシュ(現チェコ)で生まれ、地元の修道院で音楽教育を受けました。ウィーン大学で神学を学びながら大学の音楽監督を務めた後、1783年にハイドンの雇用主の遠縁にあたるエステルハージ伯爵の音楽監督となり、フリーメイソンロッジ「希望の王冠」に加入しました。この時期には、作曲家ヨーゼフ・マルティン・クラウスやモーツァルトとの交流をもっています。1785年からはウィーンの主要な劇場で監督を務め、最初の舞台作品《オベロン、妖精の王》が成功を収めた他、ベートーヴェンの《交響曲第1番》の初演も指揮、宮廷でも皇后マリー・テレーズのお気に入りの作曲家として、彼女のために作品を提供するなど幅広く活動しました。
ヴラニツキーの交響曲は、45曲が現存しており、このアルバムには3曲が収録されています。「狩りの交響曲」はフェルディナンド3世(トスカーナ大公)の音楽コレクションに残る未出版の作品。荘重な序奏、ホルンを生かしたソナタ形式とロンド形式が融合した第1楽章、嵐を描写する第2楽章、短いメヌエットを経て狩猟の喜びを表現するロンドで締めくくられます。
「交響曲 ニ長調」も未出版の作品。付点リズムを特徴とする序奏、簡潔なモチーフが展開する第1楽章、哀愁漂うアンダンテと喜ばしいファンファーレを交えた第2楽章、リズムの妙技を楽しむメヌエット、明るいロンドで締めくくられます。
交響曲「フランス共和国との和平に」はフランス革命の勃発から和平交渉までを描いた4楽章構成。各楽章には革命の進捗を表す副題がつけられており、最後は和平交渉が成功、喜びのフィナーレで幕を閉じます。この作品は政治的理由で初演を禁じられたものの、宮廷で私的に演奏されました。ベートーヴェンの『英雄交響曲』を予見する作品です。
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