|
|  |
仏画と仏像と仏教美術
|
「ナカさんは何を扱っているの?」聞かれた時、答えに困ってしまう時があります。
たいていは「仏像を扱っているんです」と答えてしまうのですが、実際は仏像だけではなく、仏画も扱っているんです。
でも、「仏像と仏画を扱っているんです」と答えると、仏像と仏画の違いから話さなければならないので困ってしまいます。
ではどう違うのでしょう。
まず、「仏像」は彫刻です。立体の仏さまです。床の間や、仏壇の中に安置されます。奈良の大仏さまなどは、典型的な「仏像」です。
一方、「仏画」は、絵です。掛け軸になっていたり、額縁に入っていたりします。
当社のポスターや色紙なども「仏画」と言えるでしょう。
この二つは全く別のものなのです。
仏像は、簡単には作ることが出来ず、また、色を塗るのも大変です。
一方、仏画は、細かく色を塗ることが出来ますし、自由に描くことが出来ます。例えば、空を飛んでいる天女、描くことはできても、それを仏像で作ることはとても難しいでしょう。
とはいえ、仏像は、それを眼にし、手に取った時、重々しい迫力があります。実際にそこに仏像がある、それ故の雰囲気は、仏像ならではのものです。
双方、それぞれの良さがあるので、たいていのお寺には、仏像を置きその後ろに仏画を飾っているのです。
仏像と仏画とその他の関連の美術品をあわせて、「仏教美術」と呼びます。
ですので、本当は「仏教美術を扱っています」と答えるのが正しいのでしょう。
とはいえ、仏像と仏画の違いをわかった上で、答えを受け止めて下さる方ってなかなかいらっしゃらないですよね。
関連項目: 「仏像」 「仏画」 「ポスター」 「色紙」
|
|
「仏教」って何?
|
前回は、仏像と仏画、つまり、「仏教美術」の「美術」についてお話しいたしました。
今回は、「仏教」についてお話しいたします。
今から約2500年前に北インドでお釈迦様が悟りをひらき、教えを説きはじめました。
お釈迦様はたくさんの弟子を育てた後、亡くなりました。
弟子達は、それぞれが聞いたお釈迦様の教えを守り、修行を積みました。
そして、おのおのが弟子を育てました。
そうして、何十年、何百年とたつうちに、主張の異なる様々な流派にわかれました。
どれが正しく、どれが間違っている、などと議論を積み重ねてもしかたがない、むしろ、悟りをひらく為に修行をする方が大切である。
そんな考え方が強いので、あまり統一されず、さまざまな流派がそのまま残りました。
例えば日本だと、日蓮宗や浄土宗など、様々な宗派があります。
これら、お釈迦様の流れに連なる教えを総称して、「仏教」と呼ぶのです。
|
「お釈迦様」ってどんな方? |
前回は、お釈迦様に連なる人たちの教えを総称して、「仏教」と呼ぶのだ、ということをお話しいたしました。
では、お釈迦様自身は、どんな方だったのでしょうか?
お釈迦様は、今から約2500年前、インドの北側の小国の王子として生まれました。
生まれた時、仙人から「長じて偉大な王か宗教者になる」との予言を受けました。
父の国王は王子を偉大な王にする為、何不自由ない生活をおくらせました。
聡明な王子は、学問をし、見聞を広め、やがて、人はだれでも「生まれること」「老いること」「病気になること」「死ぬこと」の四つの苦しみから逃れられないことを知ります。
何不自由ない生活がかえって逃れようのない運命をはっきりと示してしまったのかもしれません。
王子は絶望し、国を捨て、妻子を捨て、悟りを求め、出家します。
29歳の時です。
森林に住まう修行者の群に身を投じ、教えを求め、様々な師を訪ね歩きます。しかし、満足できず、6年間、激しい苦行の生活をおこないます。死にギリギリまで近づき、断食で皮と骨だけになります。
限界まで苦行を極めましたが、苦行では悟りは開けませんでした。
苦行を捨てることにします。
食事を取り、最後の瞑想に入ります。
悪魔が大挙として押し寄せ、邪魔をしたそうです。
しかし、動ぜず、ついに悟りをひらきます。
そうして、「ブッダ(目覚めたもの。悟りをひらいたもの)」となります。
私たちの知っているお釈迦様は、この後のお姿です。
悟りをひらいた後は、かつての仲間をはじめ、多くの者に説法をし、悟りの道へと導きます。
そうして、80歳まで伝道の旅をおこない、沙羅双樹の下で亡くなります。
その後、緩やかだけれども大きな教団ができあがり、お釈迦様の教えを各地へと伝えてゆきました。
この教団が分派し、さまざまな仏教宗派となったのです。
関連項目:「釈迦如来」
|
仏教美術の歴史 |
初期
諸説ありますが、紀元前486年、釈尊が入滅しました。
その舎利(遺骨)は八つに分けられ、八つの塔に納められましたといわれています。その塔の玉垣に彫られたさまざまな彫刻が、仏教美術のはじまりとされています。
仏像製作開始
釈尊の死後、仏教はインドのまわりの国に伝えられました。そして、2世紀頃、ガンダーラにおいてはじめて仏像がつくられました。仏像制作の初期に於いては、釈尊の伝記の場面や、礼拝用の正面向きの立像などが制作されていました。
大乗仏教と菩薩道
やがて、己の悟りより人々の救済が重要であると説く菩薩道が盛んになります。多くの仏が経典に説かれるようになりました。阿弥陀如来や観音菩薩など、今なお信仰されている多くの尊像への信仰は、このころ盛んとなりました。
その気運を受け、仏教美術の世界でも、礼拝のため、多くの仏・菩薩がつくられました。この気運は大乗仏教運動とよばれ、以後、仏教の主流となってゆきます。日本に伝わっている仏教のほとんどが、この大乗仏教運動の流れをくむ仏教です。
密教
大乗仏教の興隆の後、仏教は、ヒンドゥー教と競い合い、秘密の側面を発展させてゆきます。密教と呼ばれるこの運動は、基本的な教理は大乗仏教と同じですが、悟りに至る修行法に特徴があります。複雑な瞑想法を用いて、素早く悟りにいたることを要点としています。その際、複雑な図像が用いられ、仏教美術の世界でも、多くの仏が集合した図である「曼荼羅」が制作されるようになりました。
インド仏教の終焉
密教は、その歴史と共に複雑さを増し、密教主体となっていた当時のインド仏教は、僧院を拠点として、伝えられました。そのため、13世紀前半にイスラム教徒がインドを侵略し、仏教僧院を徹底的に破壊し、仏教徒を弾圧した際、僧院を拠点としていた当時のインドの仏教は下火となり、イスラム教やヒンドゥー教などに吸収されてゆきました。同時に、インドに於ける新しい仏教美術の創造も、ほとんど無くなってしまいます。
各地の仏教
インドに於いて仏教は下火となってしまいましたが、仏教は、その長い歴史を通じて、ネパール、チベット、ビルマ、セイロン、タイ、中国、そして、日本など、アジア各地に伝わりました。
インドシナ半島では、大乗仏教以前の仏教の流れを汲む仏教が主流となりました。
チベット文化圏では、インドに近いこともあり、後期の密教を主体とする形となりました。
日本には、大乗仏教と、中期の密教が伝わり、現在の諸宗派となりました。
このように、インドよりはじまった仏教は、東アジアに伝わり、それと共に、仏教美術の伝統も伝わり、今なお、各地に於いて、さまざまな尊像が制作されています。
関連項目:「ガンダーラ仏」「阿弥陀如来」「観音菩薩」
|
その他、ご不明な点などございましたら、「
店長に質問する」よりご質問下さい。
|
|  |
|
|