赤津焼とは

猿投山麓の静かな風土に育まれて、一千年を超える赤津焼は、日本六古窯の一つに数えられ、良質の陶土、赤津地域のみに産出する原料にめぐまれて、すぐれた陶工が生まれ、育ち、その技術や、技法が今日まで受けつがれ、美術工芸品、茶華道用具、一般食卓用品に、脈々と息づいています。
伝統工芸品に指定された七色の釉薬は、平安時代の灰釉に始まり、へら彫り、印花による華やかな文様によって花開き、鎌倉期、鉄釉、古瀬戸釉の出現により、貼付け、浮彫り等の装飾技法に一段とみがきがかかり、世にいう古瀬戸黄金時代となりました。
桃山期茶華道の発達に伴い、黄瀬戸、志野、織部の各釉が出現し、その優雅な美しさは、茶陶を中心として各焼物に及び、今日も変らず赤津焼の代表的なうわぐすりとして多く用いられています。
江戸時代の初期尾張徳川家による尾州御庭焼によって御深井釉が用いられ、玄人好みのうわぐすりが一段と冴えて、見事なろくろ技術や、たたら技術によって他に類をみない多彩さを誇り、十二種もの装飾を駆使して今日も尚、赤津焼に生かして、その伝統を守り制作されています。
後継者の育成も活発化し、「土ねり三年、ろくろ十年」といわれる伝統的技術の継承に二世らが情熱を燃やしており、赤津焼は今後も暮らしの伴侶として生き続けることでしょう。
(※写真は通称「瀬戸の粘土鉱山グランドキャニオン」、ここから粘土を採掘しています。)
「瀬戸赤津焼帯留」について
瀬戸の土を瀬戸の工房窯で瀬戸の職人さんの手作りによって製作された「made in 瀬戸」の陶器です。
製作工程
“鋳込み技法”
泥状にした粘土と石膏を利用した製作技法で、石膏は水を吸うと固くなり粘土は水を吸うと液状になる化学反応を利用した先人の知恵によるものです。
1. 鋳込み
石膏型の中に泥状にした粘土を流し込みます。流し込んだ後に型をひっくり返して余分な粘土を落とします。
2. 天日干し(1回目)
鋳込みの後、一旦天日に干して乾燥させます。
その日の温度や湿度の状況により干す時間を変えたりする為、職人さんの長年の経験や勘を要する非常に繊細な工程です。
3. 表面仕上げ
天日干しによって形状が固まった後、表面の仕上げをします。
ペーパーなどにより表面の仕上げを行いますが素焼き後にも徹底的に行い、表面を仕上げて行きます。
4. 天日干し(2回目)
1〜2日程度天日干しします。
5. 焼成(1回目)
焼成用の窯で500度程度で焼きます。
素焼きと呼ばれており、1回目の素焼きで余分な水分を全てとばし固くしまった状態にします。
6. 絵付け、釉掛け
染料絵具を使わずに天然の岩を細く砕いた顔料のみを使用していますので深みのある濃い色になっています。
7. 焼成(2回目)
1200度以上で焼きます。陶器は通常もっと低い温度で焼きますが、磁器と同じくらい硬くしまった製品にするため高い温度で焼成します。
出来上った製品は非常に固くしまり、少々の衝撃では割れないぐらいの固さを持ちます。
瀬戸焼のいろいろ
 灰釉(かいゆう) |
 鉄釉(てつゆう) |
 古瀬戸(こせと) |
平安時代前期にはじまり、自然釉を用いる日本最古のうわぐすり。現在は木灰(楢、楓、松)に長石・千倉(花崗岩の風化したもの)を少し混ぜて、釉薬を作る。 |
鎌倉時代、鬼板粘土を使用した、一般的に中性で焼成されるもの。 |
鎌倉時代に生まれた鉄釉の一種。茶入れ、水差しなどの茶道具に多く利用されている。 |
 御深井(おふけ) |
 黄瀬戸(きせと) |
 志野(しの) |
名古屋城深井丸で焼かれたことに由来する灰釉の一種。 |
桃山時代に生まれた鉄釉の一種。酸化による焼成で、釉薬に含まれる少量の鉄が上品な黄色に発色する。 |
桃山時代、日本で生まれた初の“白いやきもの”。風化長石のみを釉薬として使用し、たっぷりと施釉して強還元で焼成したもの。 |
 織部(おりべ) |
|
|
桃山時代、茶人古田織部の好みによって生まれたもの。土灰・長石・千倉を使用し、銅へげを加えることで深みのある緑色になる。 |
|
|
|