はじめに
はじめに
「ねぶたしと思ひて臥したるに、
蚊のほそ声にわびしげに名のりて、
かほのほどに飛びありく、
羽風さへそのみのほどにあるこそ、
いとにくけれ。」
平安の才媛、清少納言も蚊や蝿には大分悩まされたようで、憎きものとか、愛敬なきものと枕草子の中で散々悪口を言っていますが、昔から人間と昆虫は同じ様な環境に住んでいましたから、殺虫剤のない時代、住環境に侵入してくる虫の退治は大変な事だったと思います。
日本でも山口県の2億年前の地層からゴキブリ類11種の化石が発見されていますし、世界的にみればさらに1億年程さかのぼった石炭紀のころから昆虫類は飛び回っていたようですから、虫の方ではたかだか数百年前に出てきた人間達が文句を言うのは話が逆だと思っているかもしれません。
しかし、私達が快適で健康な生活を守るために人間の生活の場に侵入して来る害虫を排除する事は大切な事だと思います。
害虫防除の手段
古くは紀元前クレオパトラの時代に蚊帳の記録がありますが、日本には奈良時代に中国から伝えられたとされています。
しかし蚊帳がが一般的に普及したのはずっと後の事で、普通はよもぎや榧(かや)の葉、あるいは蜜柑の皮などをくすべて蚊遣り火を使っていました。
さぞ煙たかった事と思います。
「蚊やりから出現したりでかい月」 一茶
このように、煙いとか風情があると言っている間は良いのですが、蚊だけではなくハエやゴキブリまでが人間の病気を媒介することがわかってからは、牧歌的な世界では済まされず科学的分野での虫への挑戦が始まりました。
殺虫剤のうつり変わり
毒キノコ、タバコ(ニコチンの殺虫効果)やハエドクソウ(植物)などの天然物は古くからウジ殺しなどに用いられた。
その中で除虫菊は人畜に対する毒性が低いので19世紀から盛んに製造され、日本にも明治時代に導入されて蚊取り線香やのみ取り粉として用いられた。
1930年代になると有機塩素系殺虫剤(DDTなど)や有機リン剤が開発され、第二次世界大戦後本格的に使われるようになった。
しかし有機塩素系は自然界で分解しにくく動物やヒトの体内に蓄積するため、1960年代から有害性が問題にされ、その後多くの国で製造販売が禁止され、あるいは生産が中止された。
有機リン剤についても毒性の高いものが多かったため、なるべく毒性の低いものを求めて開発が進められた。
その後、有機リン剤と同様の作用(神経のアセチルコリンエステラーゼ阻害)をもつカーバメート系、除虫菊成分を基本にした毒性の低いピレスロイド(家庭用などに多く使われる)や、ニコチンを基本にしつつ、ニコチンの人間に対する毒性を低下させた効力の高いネオニコチノイド剤などが開発された。