横浜かをり〜フレンチレストランかをり〜
横浜「居留地七十番地」に本社を冠した横浜かをりは、横浜のフレンチレストランとして始まりました。
現在かをりが建っている山下町70番地は幕末の頃から居留地70番(居留地七十番)と呼ばれ、1859年開港の翌年の1860年2月にオランダ人船長フフナーゲル氏により日本初のホテル「横浜ホテル」が開業しました。
かをり山下町本店は「ホテル発祥の地」なのです。
「かをり」本店のある山下町七十番は、横浜開港の翌年(1860年)に日本初のホテルが開業した由緒ある地です。
異国情緒あふれる建物が残る横浜市中区山下町で、ひときわ歴史が漂うフレンチレストラン「かをり」。ツタが絡まる建物の敷地には、「ホテル発祥の地」の銘板が立つ。横浜が開港した翌年に日本で初めて開業した「横浜ホテル」。貿易でにぎわった港町で外国人を受け入れ、外国文化の窓口でもあった。
開港翌年に開業■跡地にレストラン
1859年7月に開港した横浜は、すぐに生糸貿易でにぎわった。多くの商船が乗り入れ、生糸を求めるアメリカ人やイギリス人で港町は活気を帯びた。
しかし、宿泊施設はなく、外国人は停泊中の船内で寝るか、知人宅に泊まるしかなかった。
横浜ホテルがオープンしたのは、開港から約半年後の60年2月。オランダ船籍の帆船「ナッソウ号」の元船長フフナーゲルが開業した。建物は木造。日本人の大工が建てた。西洋風のバーや食堂、コーヒールームを設け、公使オールコックやシーボルト、画家のハイネら歴史的な人物も宿泊した。
横浜開港資料館の西川武臣館長は、「開業したばかりの時代、ホテルの需要はかなり高かったはず。外国文化の受け入れ窓口として果たした役割も大きい」と解説する。
ホテルの切り盛りを巡って、斎藤さんはその通称に注目する。「日本人は当時、ホテルのことを船の名から『ナツシヨウ住家』と呼んでいました」。船は大勢の船員らが長期にわたり海上で生活し、ホテルと同じような機能を備える。斎藤さんは「船長のフフナーゲルとともに多くの船員が上陸し、ホテルの運営に従事したのではないか」と推測する。
63年にはいったん閉鎖され、理容室などを整備して64年に新装オープンした。しかし、66年に大火で焼失。この頃には他のホテルが建ち始め、再建されることなく姿を消した。
跡地でレストラン「かをり」がオープンしたのは100年以上たった1970年のこと。終戦後の47年、焼け野原だった横浜橋(横浜市南区)近くで喫茶店を開業した「かをり」が、偶然にも跡地で新店舗を開店した。板倉敬子社長は「当時は県民ホールも横浜スタジアムもなく、3年くらいは人通りもなくて店は閑古鳥が鳴いていた」と振り返る。
「昔、ここには何があったのだろうか」。ある時、板倉社長は興味を抱き、調べてみると、横浜ホテルが立っていたことを知った。2004年3月、「ホテル発祥の地」の銘板を置いた。
板倉社長はしみじみと語る。
「歴史のある土地で商売をすることに誇りと責任を感じる。伝統を大事にして、次の世代に残していきたい」
もともと「かをり」の創業は、母が昭和二十二年(1947)に始めた喫茶店が最初です。その後、昭和二十八年(1953)に、横浜の伊勢佐木町5丁目に本格的なフランス料理レストランを開業しました。
当時の横浜は、ホテル等は接取されレストランなどあまりない時代でしたから、祖父の人脈で日本郵船の外国航路のコックさんなど腕の良い料理人が集まり、横浜では有名な店になりました。
そして昭和三十年(1955)に、今度は伊勢佐木町2丁目に、アクリル樹脂を多用したガラス張りのような外観、当時は珍しかった冷暖房完備や、螺旋階段を用いたビルをオープンしました。和洋折衷のモダンな雰囲気はとても華やかで、どちらのお店もとても流行っていました。
現在の場所に「レストランかをり」がオープンしたのは昭和四十五年(1970)、母がアメリカに視察に行き、庭を活用した郊外型レストランを開きたいと思ったのがきっかけです。でも当時この辺りは何もなく、ビルがポツンと建っている感じで「こんな場所でビジネスとしてやっていけるのかしら」と正直私は思っていました。
ある時、大手新聞社が「これからはケータリングの時代が来る」と大きく取り上げてくれて、それがきっかけでお店の従業員たちもやる気を出してくれました。そして繁盛するようになりました。
店名の“かをり”は、和歌を愛した板倉社長の父・富治氏が、本居宣長の「敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜花」の歌から名付けたという。
昭和五十年(1975)に、当時の神奈川県長洲知事がよく来店されました。
知事は、デザートに出す「トリュフ」チョコレートを大変気に入ってくださり、それをきっかけに私が作ったトリュフを土産品として販売するようになりました。その時に、お菓子があれば、プレゼントや贈答で遠方の皆様にも召し上がっていただける、と確信したように思います。
トリュフがきっかけで、大手百貨店に出店のお誘いを受け、当時人気のあった他社のレーズンサンドを超える商品を作ってください、という条件付きでした。
そして、かをりのトリュフとともにレーズンサンドが誕生しました。
※現在、フレンチレストランは休業中です。
フレンチレストランの再OPENについては、未定となっておりますが、今後の進捗状況につきましては「かをり」のHPをご覧頂ければ幸いでございます。
横浜発祥〜かをりの洋菓子シリーズ〜
横浜「居留地七十番地」に本社を冠した横浜かをり・こだわりのフレンチレストランから誕生したデザート菓子、トリュフにレーズンサンドを始めとした洋菓子シリーズ。
伝統の味をご家庭で気軽に楽しんでお召し上がりください。
「かをり」本店のある山下町七十番は、横浜開港の翌年(1860年)に日本初のホテルが開業した由緒ある地です。
西洋食文化の窓口だった当時をしのび、「居留地七十番−西洋式ホテル発祥の地」をテーマに、こだわりの洋菓子を誕生させました。
ご家族みな笑顔でお召し上がりください。
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