いと重菓舗 楽天市場店へようこそ!
店主の藤田武史です。
当店は琵琶湖の畔、滋賀県彦根市の和菓子店です。
かつては開国の祖・井伊直弼公にも実際にお菓子を納めていた店です。ぜひ、ごゆっくりとご覧下さい。彦根の伝統の味を楽天市場を通じて全国の皆様にお届けしたいと考えています。
何卒宜しくお願い申し上げます。 |
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〜¥1,000
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¥1,000〜¥2,000
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¥2,000〜¥3,000
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¥3,000〜¥4,000
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¥4,000〜¥5,000
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¥5,000〜
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元は糸問屋「糸屋重兵衛」でしたが、初代糸屋重兵衛の妻・ますが夢のお告げで白髪の老翁から菓子の製法を教わり、菓子業に転じたと記録されています。
彦根藩・井伊家御用達で、彦根藩から他家への贈答品の菓子も手掛けました。幕末の彦根の英雄・井伊直弼公が当店の菓子「益寿糖」を腹心の長野主膳に与えた記録も残っております。
当店の代表銘菓は「埋れ木」で井伊直弼公が青年時代を過ごした「埋れ木の舎」からその名をいただいております。 |
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文化六年(1809年) |
初代 糸屋重兵衛が創業 |
文化十二年(1815年) |
井伊直弼、十一代彦根藩主井伊直中の第十四男として誕生
直弼、父と死別し藩の公館「北屋敷」へ移され質素な書生生活を強いられる。 自らの埋もれた境遇から「北屋敷」を「埋れ木の舎(うもれぎのや)」と名づける。 |
天保二年(1831年) |
直弼、埋れ木舎にて学問、武術をはじめ、茶道、能などを 覚える。
この頃、糸屋重兵衛の作った菓子「益寿糖」を茶道にも通じた直弼公が、 国学者で後に直弼の懐刀となる長野主膳(ながのしゅぜん)に与えたとの記録が残っております。 |
嘉永三年(1850年) |
直弼、三十六歳で第十三代彦根藩主となり、「掃部頭(かも んのかみ)」を称する。 |
嘉永六年(1853年) |
浦賀にペリー来航、直弼、幕府に対し開国を主張する書簡を 提出。 |
安政五年(1858年) |
直弼、大老となる。安政の大獄。 |
安政七年(1860年) |
桜田門外の変。直弼、四十六歳にて死去。
この頃、三代目糸屋重兵衛が、第十代藩主直憲公より羽織を賜る。親孝行をお褒め頂いたとのことです。 |
明治元年(1868年) |
明治維新 |
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店名は「糸屋重兵衛」から「いと重 藤田湖陽堂」「いと重」そして現在の「いと重菓舗」と変わってまいりました。 |
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