1868年に遡る歴史のト・カロンであるが、紆余曲折を経て、1966年に故ロバート・モンダヴィが現在ワイナリーのある区画を取得。その果実があまりにも素晴らしかった為に、この地に拠点を据えたという。後の1978年にも、モンダヴィはチャールズ・クリュッグ所有の区画も管理地に加えた他、1988年に「To Kalon」、1994年に「To Kalon Vineyard」の商標権を取得。その結果、原型区画の「オリジナル・トカロン」は、現在6者に分割所有される中、ワイン名に「To Kalon」を名乗れる先は、ロバート・モンダヴィを傘下に収めるコンステレーション・ブランズとベクストファーに限られる。
(因みにコンステが株式50%を保有するオーパスワンもオリジナル・トカロンの果実を使用。その区画はファーニエンテの頁にて>>)
2019年、満を持して“To Kalon Vineyard Company”が独立。(公式初ヴィンテージは2016年)
「世界最高峰の畑から至高のボルドーワイン」を旗印に、コンステレーションは醸造長に当代屈指の才腕を招聘する。その人物とはアンディ・エリクソン。「スクリーミングイーグルとダラヴァレを100点評価に返咲きさせた立役者がトカロンを手掛ける」との衝撃性からも、世界の主要ワインメディアで大きく報じられる一件であった。
▼キュヴェの由来
ラベルには次の様に記される。“George Yount had two wives, both called Eliza. First one and thenanother. Next door, H.W. Crabb, his friend and rival, made wines fromGeorge’s vines.” (「ジョージ・ヨント[George Yount:19世紀初頭ヨントヴィルの街を興し、ナパヴァレーに最初の葡萄畑を開墾した人物]は、1人目に2人目も妻の名はエリザ。隣に畑を持つハワード・クラブ[ト・カロン創始者]はジョージ・ヨントの盟友にして、ワイン造りのライバルでもあった。ハワード・クラブはジョージ・ヨントの畑からも葡萄を買いワインを造っていた。」)
▼ナパ随一の品質とも評されるフランを、マヤを手掛けるアンディエリクソンが醸造 現在のトカロンで、最も広い作付け面積はカベルネソーヴィニョン。30超に及ぶRP100点銘柄が象徴するよう、同品種にとって、世界最高峰の畑と大勢に認識される。そんなCSに隠れがちの為か、トカロンから複数の100点評価フランが産出されるとは意外に知られない。 ピーターマイケルの醸造長を歴任するモルレ兄弟が手掛けるMorlet Force de la Natureはベクストファー側のトカロン産フラン100%であり、5年で4度のRP100点を授かる(確定3+暫定1)。また、オーパスワンが使うフランもまた、マヤカマス麓側のトカロンに多く植樹。
出色のフランがトカロンにあるとよく知る一人が、他でもない、オーパスの元醸造部門責任者にして、ロバート・モンダヴィの最重要任務ト・カロン・プロジェクトを率いる現醸造長、ジェヌヴィエーヴ・ジャンセンズである。コンステレーション傘下にいるが、自身のレーベルでTo Kalonの名称を冠すわけにいかない為だろうか。女史自らのポートフォリオに使うフランは、現在6者に分かれるオリジナル・トカロンの内一つにして、ナパのフランで頂点に推す声も聞かれるデタート -Detert-より賄われる。