現在ご利用いただけません

「お知らせ」とは



ネムリエ社長のきまぐれコラム

ネムリエ社長です。

今回、シーツを作るためインドに出かけたのですが、私にとってインドは懐かしい土地の再訪でした。

1度目は私が大学の頃です。 アメリカのカルチャーとして今までの価値観を否定するようなヒッピーという文化、バックパッカーとして世界を放浪するような文化が1つのムーブメントとして有りました。

バックパックという言葉が世の中でもそれほど浸透していない時代でしたが(バックパッカーの指南書としての「地球の歩き方」はまだ発刊されておらず、アメリカで発行されていた「1日10ドルの旅」という本がバイブルでした)若い人たちには1つの冒険的な旅行として人気が出ていました。



旅の途中、西ドイツから革命直後のイランへ

その頃イラン政府はパーレビ国王からイスラム主義の革命政府に代わり、街のいたるところに銃を持った兵士の監視がおりました。 ドイツで買っていた大切なドイツワイン数本は空港ですべて没収「出国するときに返してもらえないか」と強く食い下がるも「瓶を割って捨てる!」の一点張り、その時は「本当か??」と疑心暗鬼、後で分かるのですが革命直後なのでイスラムの戒律に強く従っていたようです(その出来事より、今、この年で思い返すと、いつも持ち歩くバックパックにそんな重い瓶を何本も入れていた事に驚きとあきれ!)

訪れた日がちょうどラマダン中だったので、日中、食堂も食料品店も営業を行っておらず(その時はラマダンという言葉さえ知らなかった)当然言葉も通じず、訳が分からない状態です。(イラン人は物を食べないのか!!)。

困った時には大学に行き、英語の話せる人を探すのが私の定石です。 そこで知り合った2人の大学生(ラッキーなことに日本に留学経験あり)にラマダンの事を教わり、食べ物を売っている売店に連れて行ってもらったり、その1人の家庭で夕食をごちそうになったりと本当に助けてもらいました。その後、カスピ海までの旅行(彼らは日中ラマダンの為食事しなかった)を計画してもらい・・・と、話が長くなるのでインドへ移ります。

テヘランからインドへ

インドでの第一印象・・・暑い!ひたすら暑い! その時期、デリーでは日中40度を超えることは珍しくなく、歩いているだけでふわふわ、くらくら、フラフラしてくる。 宿をとったのは都市計画が行われているニューデリーではなく旧市街、その地区の大通りを歩くと多数の水牛(ヒンドゥー教の神の使い?)、象(これはインド象)屋根には孔雀(野生の)多くのリキシャの周りに無数の人、人、人、 カオスという言葉はこの風景の事か!

インド綿との出会い

インドは現在と比べてもとても貧しかったと思います。 その頃の私はバックパッカーなので一般のビジネスマンや旅行者のようなきちんとした身なりをしているわけでは無いのですが、やはり外国人なのでお金を持っていると思われると危険です。 「郷に入れば郷に従え」で、先ずは着ているものを、その頃多くの人が身に着けている真っ白な綿で出来た服(クルタパジャマと言うそうです)に着替えました。(写真は私では無いです) パジャマの語源はこの服クルタパジャマから来ているとネットに書いていましたが、かなり歴史のある男性用衣装の様です。

なぜ、皆がこのようなパジャマのような服で街に出るかというと、理由はインドの気候にあると思われます。 暑いときには気温が40度を超え湿度も高い気候、その上エアコンの効いた場所はその頃ほとんど無いわけです。 この服に着替えて街に出てみると・・・何だこれ?すごく快適! 体から出る汗を綿が吸い取りどんどん発散するので、ベタベタしない! とても軽い!風が吹くと体全体で風を感じられる爽やかさ、 素材を聞くと綿100%、これだけ多くのインドの人たちが使っているという事は値段もお手頃だろうに・・・綿ってスゴイなぁ! とオールドデリーの街で脱水症になりながらも感動したのを覚えています。

もちろんその頃は自分が商品開発の為インドを再訪するなど思ってもいませんでした。 しかもその商品開発の素材はその時感動したインド綿を使ったシーツです。縁ですね。

インドにはいくつかの綿の産地が有ります、今回当社が商品開発を行ったのは南インドです、ここでは品質が良く、綿花の中の繊維が長い長繊維綿(長さ28mm以上)が多く栽培されています。(写真:長繊維綿)

この長綿を使ったベッド用シーツをデイリーコレクションに続くシリーズとして開発すればとても高いレベルの品質と価格(Value)を実現できるはず、そう思った訳です。

当社の社是には「この店が有って良かったと思われる店になる」という文が有ります。 プロジェクトが成功すれば今までなかった品質の良い美しいシーツをお安く提供できるはず、当社だから行えたと言われるような仕事の1つになってもらいたい、という願いです。