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【ラ・クレマ】 ≪La Crema Winery≫ ■パイオニアからスタンダードへ、スタンダードから アイコンへ…不変の美味しさ、感嘆のクオリティー。


≪2010 W&S RESTAURANT POLL #1≫
■W&Sレストラン・ポール・アワード(Restaurant Poll Award)
 米三大ワイン誌の1つ「ワイン&スピリッツ誌」により年に1度発表される、飲食業界限定ワイン総合ランキング【レストラン・ポール】。
2010年で第21回目を迎えたこのワイン・アワードは、同誌が全米No.1レストラン・ガイド「ザガット・サーベイ」を元に2,500件以上の飲食店に質問状を送り、その回答からベスト・セラーとなったワイン、及び造り手を調査し、ランキング形式で発表する年に一度の祭典です。実際の審査に主催誌が携わらない数少ない「公正なアワード」の一つであり、また同時に21年続く、最も詳しく調査された "レストラン・ワイン白書" とも言えるでしょう。
そんなレストラン・ポール・アワードの第21回大会、ピノ・ノワール部門にて見事【全米No.1】に選ばれたのはラ・クレマでした。
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●皆様に知られざる逸品をお届けすべく、新しい造り手を、未だ見ぬワインを…と日々新たな発掘作業に東奔西走しておりますと、どうしても気持ちが前へ先へとつんのめってしまいます。そんな折、こういった「変わらぬ名門による不朽の名作」を飲む機会に巡り会うと、その良さに改めて原点を想い、はたと足を止めさせられます。
90年代中盤、日本で手に入るカリフォルニア・ワインといえば、ブランドものはナパ、普段飲みのカジュアル品はセントラル・コースト等からの品が大部分を占め、ソノマのブティック・ワイナリーはほとんど見かけることができませんでした。そんな時代にソノマ・ワインの美味しさや楽しさ、そして素晴らしさを教えてくれた醸造家がグレッグ・ラフォレ氏であり、ブランドが 『ラ・クレマ』 でした。両者は私イナムラ@てんちょにとってのかけがえのない "ソノマの原点" です。
ブルゴーニュ信奉者さえも気を許し、認め、讃える数少ないカリフォルニア・ワインの1つ、ラ・クレマ。輸入元移動により暫くお目にかかれなかったこの名作が、実に久々に赤(ピノ)、白(シャルドネ)ともに揃っての復活を迎えました。ここにグレッグ・ラフォレ氏の軌跡とともに、改めまして皆様にご案内させて頂きます。
●決して裏切らない不変の銘酒、それがラ・クレマ。もしも新たなブランドの探求に疲れたら…此処でぜひ一息を。
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▼ラ・クレマ(La Crema Winery)
強力な高品質ブティックを数多く抱えるジャクソン・グループの一員であり、中でも筆頭銘柄として知られるラ・クレマは、高品質の、そしてハンド・クラフトによるピノとシャルドネに特化した1979年設立のワイナリー。オーナーはジャクソン・ファミリーのローラとジェニファー姉妹で、腕利きの女流醸造家を抱え、女系体制にて運営されています。ラ・クレマの素晴らしさはやはりその継続性にあります。クオリティーを高い水準に保ち、飲み手を喜ばせる品質を、飲み手が喜ぶ価格で供給し続けてきました。結果としてエリアのパイオニアであったものがスタンダードになり、そしてスタンダードであったものがアイコンへ…。今やクール・クライメット、コースタル・リージョンを象徴する存在へと変貌を遂げ、そのワインは価格帯でもひときわ優れた「不朽の名作」としての名声を確立しつつあります。
▼グレッグ・ラフォレ(Greg La Follette)
ソノマを職域とする人物で、彼以上にリスペクトされる醸造家が果たしてどれほど存在するのか…。手掛けるピノとシャルドネはノース・コースト随一とされ、カリフォルニア・スタイルとは一線を画すも、かといってブルゴーニュ・スタイルという単純な一言では到底片付けられない氏の作品は、実に独特な世界観を放っています。彼のワインはまるで自らの素性を飲み手に語りかけるようです。その話をもう少し聞いていたいから…、ちょっと違う一面が見たいから…、その全てを独り占めしたいから…。理由は次から次へと現れ、グラスを持つ手は止まることを知らず、気づけばボトルは空に。彼の作品はいずれも「もう一杯」を誘うワインばかりです。
グレッグ・ラフォレはヨーロッパ生まれ。ワインは造られるのではなく育つもの…という考え方がありふれた旧世界のワイン造りに囲まれて育ちます。伝統的ブルゴーニュの技術は既に10代で身に付け、新たな世界のワイン造りに触れるべく、NVVA(Napa Valley Vintner's Association)から教育助成金を受けてカリフォルニアに渡り、カリフォルニア大学では植物生物学と化学の学士号を、UCデイヴィス校では食品科学と科学技術にて修士号を取得します。欧州の伝統一辺倒の手法とは異なり、次々と新しい取り組みにチャレンジするカリフォルニアでの醸造研究は彼に大きな刺激を与えました。
1991年に卒業後すると 『ボーリュー』 に入社。ここで彼の運命を決定付ける出来事の一つ、伝説の醸造家アンドレ・チェリチェフ(Andre Tchelistcheff:>>詳細)との出会いがあります。グレッグがどんな難問をぶつけようとも、アンドレはまるでポケットから物を取り出すかの如く簡単に答えを出してしまう…そのあまりに明晰な頭脳と底なしの知識、そして科学的根拠に裏打ちされた考察と、しかしそれに囚われぬ自由な発想。それらに驚き、グレッグはアンドレを師と仰いでその下で研鑽を積み、感性とスキルを磨き続けます。彼が思うアートとサイエンスの融合、その理想像こそがまさにアンドレでした。後に彼は当時を振り返って「自分のワイン人生に最も影響を与えた人物はアンドレ」と語っています。
ボーリュー退社後は豪州へ渡ってヤラ・リッジへ。武者修行を経てカリフォルニアに戻ると、最初の職場は意外にもナパでした。世界一ゴージャスな「洞窟ワイナリー」として有名な秘境の生産者 『ジャーヴィス』 にて醸造家を務めますが、やはりソノマが彼を呼びました。ジャーヴィスとの契約は短期間で終了となり、直後に 『ケンドール・ジャクソン』 にて職を得、同社の傘下である 『ラ・クレマ』 と 『ハートフォード』 をコンサルティングし、両社を共に【ワイナリー・オブ・ザ・イヤー】に導きます。そして1996年、かの 『フラワーズ』 より醸造家兼ジェネラル・マネージャーとして招聘され、ソノマ・ピノ&シャルドネのエンスー達の間で一挙ブレイク。周知の存在となりました。
一方で 『ピゾーニ』 の実力を早くから見抜いて世に送り出したのも彼でした。ゲイリー・ピゾーニと親密な関係を築き上げ、5つのブランドでピゾーニのピノをリリースし、7つのワイナリーのためにピゾーニ畑のコンサルティングを行いました(初めてピゾーニからのピノを造ったのも彼だそうです)。今やピゾーニはS.L.H.のカリスマ…しかしその始まりにも、グレッグが重要な存在であったことは言うまでもありません。さらに経営破綻してどん底にあった 『デ・ローチ』(De Loach)をWE年間TOP100の【第1位】にまで再生させ、『ルックアウト・リッジ』、『デュナ』、『ロンダー』 ら小規模ブティックを次々と新世代レアへと昇華させ、また学友であり、数々の仕事を共にこなしたグレッグ・ビョルンスタッド氏と共に、自身のレーベル 『タンデム』 を設立。瞬く間にマニア垂涎ブランドとなりましたが、これも近年CheckFreeコーポレーション創立者であり、『キヴィラ』(Quivira)のオーナーである富豪ピーター・ナイト氏に売却(お父様の癌治療のためとの話も)。2010年、遂に自身の名を冠した 『ラフォレ・ワインズ』 を設立。スペクテイター、パーカー、ワイン&スピリッツ誌の米3大誌がいずれも世界の、あるいはエリア随一のベスト・ワインメーカーとしてのタイトルを与える紛れもない天才醸造家であり、現在15近くものクライアントを抱え、それら全てを第一線級作品へと押し上げています。
グレッグ・ラフォレ氏が築いたラ・クレマ・スタイルを受け継ぎ、2001年より現在までワインメーカーとして活躍しているメリッサ・スタックハウス女史は、グレッグと同じくUCデイヴィス校出身の女性醸造家。今回ヴィンテージにして約5年ぶりくらいにラ・クレマを飲みましたが、かつての虹色の光は一色たりとも欠けることなく、当時のままの輝きを全く色褪せずに放っている事に感激。バランスに秀でた美しき不変のスタイルに改めて唸らされることとなりました。彼女へのバトンタッチに、一抹の不安も感じられません。
流行りの造りに蚕食されることなく、今も昔も変わらぬラ・クレマ。付帯価格を纏わぬことからヴァリューは抜群。一般的なワイナイリであれば最下層にあたるA.V.A.ラインですらも、まるで他所のキュヴェや単一畑レベルの内容。特に白の美味しいこと…飲めば「これでスタンダード品!?」と思わず呟き、ファンに歓喜を、ライバルに戦慄をもたらす非凡なるクオリティー。
ラ・クレマ愛好家の方からは、度々こんな話を耳にします。「見つけるとついつい買ってしまう」「いろいろ悩むけど、結局これ」と。そしてこのような台詞が聞けるのは、何もカリフォルニア・ファンからだけではありません。ブルゴーニュ通を自負する方の口からも同様の言葉が漏れるのです。フランス贔屓の御仁からも一目置かれ、アンチ新世界派をも頷かせる稀有な存在です。
●偉大なるパイオニアは、スタンダードを経て今やアイコンへ…これこそが「不朽の名作」。
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